2015年2月27日金曜日

芸術は過程がどうでも、結果作品になれば全て作品!

こんにちは、Mimusです!

2年前の音楽を動画師の友人からの頼みでアレンジ(調節程度)、リマスターしてるんですけど、昔の私本当にすごい。型破り半端ない...orz
 
どこがすごいっていうと、昔はとにかく結果的に ” 曲 ” になれば何でも良かったんだな~ということ。

楽器の使い方にしろ、音圧の上げ方にしろ、むちゃくちゃなことしてて、よくここまでまとまったなと... 発想力はすごいけど改めて今調節し直しとかになると、昔の私には扱えて今の私には扱えない代物のように思えて苦労する...

でも、今でもまだまだむちゃくちゃなことはしてると思いますが(私が気づいていないだけで)、同じ私と言う「作詞・作編曲者」であり「(自称)音響技術者」なのに、これだけの変化は何なのか... 自分でもにわかに信じられないです...

いや~、よく2年前CDプレスして全国委託販売できたよな~。こう考えてみると、信じられない!!(汗)

昔の自分の演奏方法の発想力が別次元過ぎて、見習わなきゃって思ってしまう...

ある程度音楽等の勉強をし始めると、自然と言うか無意識的に ” 型にハマろう " と意識しちゃうけど、あえて型から外れることも芸術なんだな~って実感。

だって、結果として ” 作品 ” になればそんなのどうでも良いことなんですもん。

あの時は、音楽の知識はピアノ譜を少し読める程度から始まった作曲活動。

曲は自分一人独学で作り始めて、本当に楽器や機材、ソフトや理論の使い方を知らない状態でも、 " 音楽が好き " という想い一途でがむしゃらにやってきたんだなって、振り返るとそう思います。

同じ制作者でも、ここまで変わるんだ。芸術って深いですね^^


でも! なんだかんだ書きましたけど、結局言いたい私の今の気持ちはただ一つ「昔の私の音楽、癖ありすぎるよ...」。勘弁してくれ~...orz

(チャンチャン!)

2015年2月16日月曜日

芸術と言う才能は、時間を共有するコミュニケーションツール

この前買ってきた音楽の本に、歌詞に客観性を持たせるのに映画や漫画で人物を分析してレパートリーを増やすと良いということが書いてあって、早速昨日と今日映画を見て分析。


その中で、この写真の「ハチミツとクローバー」は友人の勧めもあって良い映画だった。

芸術家達の恋愛物語の作品なのだが、自分は同じ芸術(=音楽)を嗜むものとして、芸術に枠なんて必要ないということを劇中に改めて感じさせられた。

表現は自由、型にはまらず主体的にやりたいようにやれば良い。分かる人に分かればそれで良い、そんな昔の音楽に対する気持ちを思い出すというか、気付かされたというか、とにかく今はそんな初心の新鮮な気持ちがある。

また、劇中の焼き肉パーティーでは、芸術家の人たちを大勢集めてわいわいやってみたらどんなに楽しいのかな?とちょっと興味も湧くものだった。

自分の才能からの産物は、井戸のように枯れること無い。それをみんなと共有する時間を楽しませるために使う。これはとても素晴らしいことだと感じた。

自分のために芸術をすることが目的では、自分の経験上、ほとんどが長く続かないことは分かってる。

お金と言う尺度で計るのではなく、芸術を道具(楽しませたり、感情を共有したり、言葉で表せないものを表現したりするコミュニケーションツール)として使うこと。その素晴らしさを忘れていた。いや、見失っていたのかもしれない。

自分は最近、より多くの人に受け入れてもらおうと音楽理論やポピュラーミュージックを漁っていた。

基礎は確かに大切だけど、基礎という枠にはまりすぎちゃいけないと気付かされた。

そこの折り合いをしっかり意識しつつ、今後の音楽の勉強を進めていこう。そう思った。

自分の作品にもっと深みを持たせれたら。自分の芸術をいろいろなところで惜しみなく出せていけたら良いなと思った。

ちょっとそこを心掛けて、活動していってみよう。

と、心に思ったことを感じるままに綴った音楽日記でした^^