2015年3月26日木曜日

大学卒業「人の限界を知ることの大切さ」


こんにちは、Mimusです!^^

かなり遅いのですが、3月21日に大学卒業しました!!

引っ越しや別れの場等々ありまして、書く時間が取れるのが今になってしまいました。

この機会を機に、大学で実際に私自身が体験した「人の限界」を感じたことについて書きたいと思います。


では、サブタイトル....

「人の限界を知ることの大切さ」


この4年間、大学ではいろいろと喜怒哀楽の出来事があったり、心にも春夏秋冬様々な変化がありました。

その時間はとても色鮮やかで、素敵で掛け替えの無い学生生活だったと言えます。



大学入る前の自分を振り返ると、「夢がない」「コミュニケーションが苦手」「自分に自信がない」「趣味がない」「人との距離が掴めない」「困難になった時に立ち向かえない」「ネガティブ思考」などなど、もうどうしようもない人間でした。

表面上では笑顔でも、心の中では不安ばかり。糞真面目な性格で完璧主義的な感じだったので、特に自分に対してはこうでなければいけない! ああでなければ駄目だ!と理想ばかりの息苦しい考えばかり持っていました。

友人に「いつもヘラヘラしてるイメージがあるけど、そんなこと考えてたの?」だなんて言われもしましたが、内面では勝手に実現不可能に近い理想を追い求め、努力して息切れをし続ける。そんな日々でした。


大学二年時に、大学内のサークルで部長代行 兼 副部長を勤めた機会があって、自分の中の理想の部長姿を追い求め、駆け回った時期がありました。

そのサークルは総員30名近く部員がおり、毎年学祭ではチャリティーバザーを行い、そこで得た100万円以上の売り上げをUNICEFに寄付するというサークルでした。

そのときは、いろいろと今まででは無い新たな取り組みや他のサークル提携等を新たに企画して、その管理や進行などの運営に放課や昼ご飯の時間も返上して徹底的に動き続け、それこそ " 時給発生してもいいんじゃない? " てぐらい一人めり込んで活動していました。

自分としてやりたいことや遂げたいこと、そして恒例行事のやらなければいけないこともある。そして、各部員のやりたいことも実現させてやりたい。

そのために、いろいろ活動の輪を広げたり、規模を大きくするために、大学のサークルを他に3つ兼部して、各サークル部長と親睦を経て提携交渉や、大学関係者のもとへ何度も足を運び交渉など、いろいろと人脈を使った展開をしていきました。

一時期では、英語教授の協力を得るべく、友人を通訳に呼び、交渉したこともありました。

いろいろ活動していることが大学の学長さんへ伝わり、学長補佐の方と教務責任者の方が部室へ来て、直々に活動依頼をしてくださるようになったぐらい軌道に乗りました。


しかし、ある時、サークルのことに関しては、もう一人では運営ができなくなってきていることに気づきます。時間的に圧倒的に足りない。

今までほとんど自分で進行して来たからです。

他の人に任せるにも、同じ部員であってもそこまでサークルに関して精通している人がいないし、動ける人がいない... 要は、ブレインとなる部員がいなかった。日頃から情報共有をすることを心掛けていましたが、状況の変化が早かった。

補助してくれるありがたい友人の部員も何人もいましたが、それもなかなか上手く行かず。

友人には失礼ですが「もう一人 自分のクローンがいたらいいのに!!」と思うことも何度もありました。

今振り返れば、やり甲斐はあっただろうけど、自分のみならず部員にも過ごしにくいサークルを作ってしまったかもしれないと思ってしまいますが、こんな感じでサークル運営に関しては、一人で全て事務作業もしなければいけませんでした。

なんとか、1年間全ての行事を終え、世代交代の時期になると、先輩方から部長を推薦されましたが、音楽サークルMimusicがあると言い辞退し、Mimusicへ全精力をつぎ込むことになっていったのでした。



この体験、部長代行 兼 副部長の経験を終えた後の自分は、たくさんの人と関わってきたことによりコミュニケーションも得意になり、いろいろな行動や活動をしてきたことによる成果が出て、自分に自信が持てるようになっていました。

また、サークル内での衝突やメンバーの心境の変化・生活やバイト等の両立を考えて負担を調節するリーダーとしての思いやり、配慮なども経験するなど、とても素晴らしい体験だったと思います。

しかし、一番大きかったことは<font size="4">「自分一人では、できることに限界がある」</font> 要は、人の限界を知ることができたことだと思います。

こういう自体になったのも、大学2年時の私のリーダーシップ力や情報共有能力、運営能力、非効率さなどなど落ち度は多々ありましたが、詰まる所を言うと、<font size="4">「みんなで協力し合えば、大きなことができる」</font>ということに気づいたのです。

一人で大きなことをしようとなると、何をするにも時間が足りない。効率も悪い。そして、疲れてきたら判断ミスもしてしまうかもしれません。そして、それを成し遂げるために犠牲にするものは一人で大きなことをするのであればあるほど大きくなってきてしまいます。

私の場合は、勉強の時間、趣味の時間(当時は音楽始めたばかり)、恋愛等々、これは大学生活の醍醐味ではないかという物をたくさん犠牲にしてきました。

もちろん、自分にとっては素晴らしい体験であったし、「いろいろな経験を積みたいんだ!」「一人で何でもできるようになりたい!」と誰しもが思うことではありますが、実際、大きなことになるにつれて一人でこなすことは不可能になってくると分かったのです。

今回の場合は、目指すものへ向かって一致団結していく " 部活 " ではなく、比較的遊びの志向が出やすい " サークル " という組織で部活並みの活動をしてしまったこともあるのですが、こういう「自分一人では、できることに限界がある」ことに気づく、「人としての限界」に気づくことで、理想と現実の違いに気づき、また自身のリスク管理(時間的制約がある約束や要求を確実に達成することができるかなど)を始め、人がいることの大切さ等々を学ぶことができました。

まだ、人の限界を知らない方は、是非一度自分なりに限界に挑戦してみるといいかもしれません。いろいろ犠牲(機会費用)はあると思いますが、それ以上の大きな成長をすることができると思います!


ちょっとタメになるかならないかの話でしたが、今日はここまでにしたいと思います!

ありがとうございました^^

それでは、今日はここまで!^^

2015年3月24日火曜日

大学は格付けのためにあるのではない、成長するためにあるのです

ちょっと雑学というか、教育の話...

ずっと心に残っていた。友人達の「俺の大学なんて(学力的に)底辺だから...」という言葉を... そう思う友人達の気持ちを変えたくて、色々考えたけど、そのときは答えは出てこなかった...

私の大学は偏差値は決して高くない。でも、私自身そんな大学でも講義等の大学教育には満足していた。質やレベル、教員の気の効いたフレキシブルな授業に。校則は厳しいにしろ、それは学生としての最低限守らなければいけないもの、要は大学在学期間をお金と時間の無駄にならないように導く存在の校則ばかりだった。その同じ大学の友人からその言葉が出てきた時には少し「なんで?」と疑問を覚えた。



あるとき、こんな記事を見つけた。

私の大学の記事なのだが、
①「大学ランキングとは何か?」
②「偏差値教育の実態とは?」
③「高校と大学の学びの違いとは?」


この記事の中に、

『大学の評価とはそもそも社会に与えるインパクトを重視』(※①より)されているが、本来なら『教育の付加価値を測定することに重きをおくことが求められ、在学生の高校時代の学力ではない』(※①より)(高校時代の学力=偏差値)と書かれている。

また、
『偏差値教育は大手予備校が受験バブル期...から始めた「偏差値ビジネス」にほかなりません。偏差値の高い大学=優秀な教員が在籍=質の高い教育がうけられる、という幻想を作り上げてしまいました。』(※②より)
私の後輩や友人にも、学力レベルの高い大学に入ったが、授業の質に満足していないという人は意外に多かったことを私自身訪ねて実際にあることを知る事になります。


では、何が大学教育に求められているのか?

そこには、教育付加価値という言葉がキーワードになります。

記事には
『教育付加価値(Value of Education)という言葉が存在し、教育付加価値のもとでは、偏差値は大学を評価する基準ではなく、卒業までの成長度合いを評価しようというもの。』(※②より)

偏差値ばかり気にしている人は、一度自分の大学の教育の質を見直してみるといいかもしれません。偏差値では表しきれない大学の本質をする事ができるかもしれません。


そもそも大学と高校の教育の違いは、

『高校までの学習は教科書や先生から問題が与えられ、決まった解答を書くという訓練が中心』(※③より)
『高校までは受験のための学習がメインで学校で教わることが絶対的な傾向にあります。先生の教えを一方的にノートに書き写して覚えることが「学ぶこと」になっている』(※③より)


それに比べ大学は、
『大学の学問は自分自身で問題を定義、教授や学生と一緒に授業を議論を通じて考えを深めていきます。』(※③より)
『大学で期待されているのは、自ら問題を提起し、そのことに関して積極的に調査や議論をして、よりその問題に対して考えを深めることが大切なのです。』(※③より)

偏差値も重要ではありますが『優秀な高校生は大学受験でいい成績をとり、大学でも優秀な成績をあげ、大手企業に就職できる可能性を秘めています。しかしながら、それは可能性に過ぎず...』(※②より)というようです。

偏差値は過去のことであり、大学教育が高校までの偏差値で全て評価されて良いものではないはず。


これを見た時、私は思いました。

大学の偏差値で劣等感を抱いてる人は自分がどれだけ成長できたかが分かってないのかもしれない。偏差値どうこうのいわゆる " 過去 " を引きずっている。そういう人は、過去を引きずるよりも大学でどこまで成長できたかという " 現在 " を見るべきだと思います。

私の恩師は言いました。「大学は踏み台だ」と。

大学に入ってどれだけ成長して、自分の価値を高めることができたか、または成果を出せたかが重要なのだと私は思います。

③の記事にも大学は「同じ目的や関心のある仲間と積極的に交流することで、人間力を高めることもできます。」とあります。

勉強だけの話ではありません。人間として成長する面でもそうです


"大学は格付けのためにあるのではない、成長するためにあるのです"

偏差値ビジネスによる大学の格付けで一喜一憂するのではなく、大学に入ったことでその教育の英知を最大限自身に取り込み、生かし成長するべきなのです。 大学に入ることがゴールになってしまってはいけない。

この言葉をその友人達へ届けるために今までかかってしまった。 卒業した今はもう遅いかもしれないが、これから大学受験をする方や一流大学ではない方のためにここに記しておこうと思います。もう一度言います。

"大学は格付けのためにあるのではない、成長するためにあるのです"


これは、偏差値は低い大学ではありますが、首席を取ったことのある私自身の大学生活から言うことができます。

大学に入るだけでも、とても素晴らしいことであったと。偏差値が低くても、新しく自分に吸収できる知識はたくさんあり、成長できる機会はいくらでもあると。

どうか、大学で目一杯苦労と困難を経験し、そして自分の限界を破って、立派な人間になってください。


ずいぶんとお難い話になりましたが、今日はここまでにしたいと思います^^
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参考資料

①「大学ランキングとは何か?」
http://www.nucba.ac.jp/about-ranking/entry-14188.html
②「偏差値教育の実態とは?」
http://www.nucba.ac.jp/about-ranking/entry-14189.html
③「高校と大学の学びの違いとは?」
http://www.nucba.ac.jp/about-ranking/entry-14224.html

2015年3月23日月曜日

Take Pride in My Life

大切な相手に嘘ついて誤摩化したり
仲直りしたくて謝りたくてもできなかったり
教えてもらったのに意地をはったり

プライドがあるから誠実さに欠けたり、素直になれなかったり、意地をはる。

こうしたプライドの積み重ねが、本当は喧嘩しなくてもいいところで喧嘩したり、心とは反対のことをしてしまう。
それってとっても勿体無いことだよね。

僕はそんなプライドは持たなくていい。

プライドがあるから苦しくて
プライドがあるから縛られて
プライドがあるから生きにくい

そんなプライドは、邪魔だよね。

軽くなろう
楽になろう
力抜こう

でも、一つだけ持っていいプライドがあると僕は思うんだ。
それは生き方や生き様に対するプライド。

自分の芯を
想いを
願いを
そして役割を突き通すためのプライドなら、持ってても損はしない。
そのプライド一つで、とても生きやすくなるんだから

あなたの理想はなに?
あなたの想いはなに?
あなたの願いはなに?
あなたの役割はなに?

さぁ これであなたは空を飛べる

By Mimus

2015年3月2日月曜日

芸術は人生の楽しみ方を教えてくれる

芸術ってなんなんだろう...

*写真は私が描いたイラストのメイキングピクチャー

その答えは人それぞれ違うかもしれない。

だけど私は、一つの物や出来事を様々な方向から見て楽しむこと、もしくは楽しむ方法だと思う。


例えば、晴れ渡る山頂からの絶景。

芸術は「遠くまで見えて綺麗だね」だけでは終わらない。

夏の空にはオーロラやダイヤモンドダストのように煌めき降り注ぐ星々があったらどんなけ綺麗なんだろうかと、そして想像して想いを馳せる。

そんなことを考えて作品にする。

これは些細な日常生活でも同じ。 楽しいこと以外にも、辛いことや悲しいことも人生ゲームなどの1つの作品と捉えて楽しむのもいいかもしれない。

その経験を生かして、自分がしたいような見方で表現する。綺麗にもできるし汚くもできる。

一つに日常にでも、綺麗と汚い、すでにここだけで2つの楽しみ方があると言える。

それは、作詞などの音楽やイラストや風景などの絵を描くことで、その楽しみを教えてもらった。


だから私は、芸術は人生の楽しみ方を教えてくれるものだなと、いろいろ本を読んで気付かされ、また、そう思うのです。

芸術はどんなことも楽しめる豊かな心を持たせてくれるのかもしれません。

また一つ、芸術の世界を、少し垣間みた気がします... はい...